*「コロナ第二波が襲来?!」 20-07-26

 

今年は例年に比べて梅雨明けが遅れているようです。原因は太平洋高気圧の 勢力がまだ弱いからとか。しかし、これだけの雨が降れば夏の水不足は心配無用 ですね。感謝です。一方、水害で被災された方々のことが気になります。読者の 皆様は大丈夫でしたでしょうか。中には繰り返される被害に疲弊し、気力も萎え ておられる被災者の方もおられるとのこと。無理もありません。被災者の皆様の もとに復興支援の手が、どうか届きますように。また人の思いを越えた天よりの 慰めがありますようにさて、やはりとうとう来たようです。コロナの第二 波?! 名古屋教会では、安息日の集会を休止することをせず、午前中の集会の みを継続する方針です。(勿論、今後の状況を観ながら変更する場合もあります。) 出欠席については慎重な自己判断をお願い致します。第一波の際に学んだ感染 予防策、手洗い・マスク着用・密の回避などを引き続き心掛けたいと思います。 そして、私たちの命・人生は全て神様の御手の中にあることを覚え、愚直に一日 一日を委ね、恐れを去らせて頂きましょう。そして、平安の内 にそれぞれの役目を粛々と果してまいりたいと思います

 

◆ E.G.ホワイトが著書『キリストへの道』の中で教えておられる 毎日の献身の祈りがありますが、その大切な祈りを今一度確認 致しましょう。「主よ、しもべを全くあなたのものとしてお受け 入れください。私のすべての計画をあなたのみ前におきます。どうか、しもべを 今日も御用のためにお用いください。どうか、私と共にいましたもうて、すべて のことをあなたにあってなさせてください」。この祈りの内容、そしてその重要 性は、どのような時代・状況にあっても変更はありません主は、こう言われま す。「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる」(イザヤ書 4110、口語 訳)。聖書の神様は日々献身するご自分のしもべをお守り下さるお方であり、最 善へと導いて下さるお方です。このことを本当に信じたいものです。(本当に信 じる信仰が与えられますように。)そして毎日、何が起きても起きなくても、平 安を頂くことができますように。まさにこれは、クリスチャンの特権です! そ うではないでしょうか。「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂 げてくださる」(詩篇 375、新改訳)

 



 

 

「心の真の拠り所」20-06-27

今週は名古屋教会員・I兄のお父様が逝去。85才でした。未信者の方ではありましたが喪主・I兄の希望で、葬儀会館にて出張葬儀を行いました◆故人の小学生時代は戦争に翻弄される時代でした。とても暑い日に川で遊んでいたところを敵機により機銃掃射され、まさに九死に一生を得る体験をしたことも。しかし、恐らく、もっと辛かったのは、お母様が若くして結核にかかってしまい、隔離療養の末に逝去されてしまったこと。故人が10才になる手前の出来事でした。その後、親戚の家に引き取られて寂しい子供時代を過ごすことに。が、驚いたことには、その後、名古屋学芸大学に入学され保健体育の教育資格を取得されたのでした。

 

悲しさや寂しさを乗り越えての、奮闘努力の末のことでしょう。故人の直向(ひたむ)きな子供時代、青年時代の様子が伝わってくる感じが致します。その後、故人は小学校教員としての人生を送られました◆誰の人生にも、多かれ少なかれ苦難の日々があります。しかし、心の真の拠り所を教えられているということは、本当に幸いなことですよね。「主はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」(詩篇4612、口語訳)。神様に支えて頂き、助けて頂きながら、与えられているこの世での生命を全うしてゆく者でありたいです。神様の御力、御栄光が豊かに我らの人生の歩みにあらわされますように。

 



「数えてみよ主の恵み」 20-06-20

雨期の真っただ中。「蒸し暑いな~」と思ったら、ガタンと気温が下がったり。気温の激しい変化に身体がついてゆけず、体調を崩されている方もおられるのでは。ご快復をお祈り致します◆「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって、聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主 の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩編 103:1~2)。今週も無くてはならぬものを日々お与え下さり、私たちをお支え下さった神様に感謝・讃美をお捧 げ致しましょう。「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ 8:10)◆何でも「あって当たり前」とし、ろくに感謝もしない生き方は、とても寂しい生き方ではないでしょうか。健康、食物、仕事、家族、友人、家、部屋…。置かれている境遇は人それぞれ異なります。あの人にはあるのに、私にはない!とつい羨んでしまうことも。しかしそのままでは折角の大切な貴重な毎日が暗い日々に ◆私が幼かった頃、私たちの教団で働かれていた牧師の中に H 先生がおられました。子供たちのためのお話がとても上手で、いつもニコニコ。笑顔を絶やさな い先生でした

 ある時、人づてに H 先生の感謝の習慣を聞いたことが。毎朝起きた時に、両手の指を一本ずつ折り曲げながら、感謝できる事を一つずつ数えて いるとのこと。まさに「♪か~ぞえよ、一つずつ♪」(希望の讃美歌 264「望み
も消えゆくまでに」)と讃美歌で歌われている通りです。それを
実行しておられたのでした。そして、いつもニコニコ◆神様に感謝しないということは、人にも感謝しないということに。そのような生き方には、心の潤いはあり得ません。神様はともするとそのような寂しい生き方に迷い込み易い私たちに対し、感謝しながら、主を喜びながら生きるようにと招いて下さっています。そこに人間 本来の幸せな生き方があるのではないでしょうか。幼な子のごとく愚直(!?)な
までに、心を低くして感謝しながら生きる日々を送っていきたいですね。何よりも、私たちを救うために御身を十字架で犠牲とされたイエス様に、感謝・讃美を お捧げしながら生きてゆきたいです。ハレルヤ!聖名をたたえます



 

「梅雨入りしました!」

 

20-06-13

 

主の聖名を讃美致します。今週も日々、無くてはならないものを与えて頂き、コロナからも守られ(万一感染された方がいましたら、癒されますように!)、健康や生活が支えられたことを感謝致しましょう。「ハレルヤ。恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」(詩編1061)◆また、私たちのすべての失敗や犯してしまった罪を、主は全てお引き受け下さる方であることを感謝します。「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです」(Ⅰヨハネの手紙212)◆さて、いよいよ今週、私たちの住むこの地域も梅雨入りに。しばらく湿気の多い日々が続きますね~。蒸し暑い季節って、皆様にとってはどのように感じられますか。ジメジメ~とした日々が来る日も来る日も…。すると、私たち人間はどうしても「うっとうしいー!」と、不快感に流されて愚痴っぽくなってしまうことも。ジメジメ~とした日々が来る日も来る日も…。すると、私たち人間はどうしても「うっとうしいー!」と、不快感に流されて愚痴っぽくなってしまうこ

 

とも。しかしそのように流されっぱなしでは、サタンの思うつぼ◆神の御言葉はこのように告げています。「主を喜ぶことは、あなたがたの力です」(ネヘミヤ810)。不快に感じたり、愚痴っぽくなってしまっているそのままの状態で、あえて神様への賛美をお捧げし、まさに御許(みもと)へ引き上げて頂きながら、この季節を乗り切ってゆきたいと思います。どうぞ、どうぞ(ひざまず)いて「カルバリ山の十字架につきて~」や「ここは神の世界なれば~」など、私たちの思いを神への感謝へ、そして天へ向けてくれる讃美歌を、ぜひ一人で歌ってみて下さい。讃美歌を歌うのも、祈りの作業として非常に大切な要素です!(音をうまく取って歌えないなら、歌詞を噛み締めながら繰り返し音読してみて下さい!)。「祈りは、神を私どもにまで呼びおろすのではなく、私どもを神の(もと)へひき上げるのであります」(『キリストへの道』「祈りの特権」より)。人間にしか与えられていない、無限のお方なる神様とつながるこの祈り、讃美という特権を日々確かに使いたいものです。そして「引き上げられる」祝福の経験を重ねてゆきたい。主イエス様のご再臨されるその日まで。

 



「主に望みをおいて」  20/6/6

暑い暑い一週間でした。皆様、お元気でお過ごしでしたでしょうか。そろそろ熱中症対策も考えねば…。そしてもうすぐ梅雨入り。しんどい季節がやってきます。どうぞご自愛ください◆それにしてもコロナの感染は、なかなかそう簡単には終息しませんね~。日本全体としてはかなり収まってきた感じですが、福岡や関東、北海道ではまだまだ燻っている様子です。歴史の経験を踏まえた常識で考えれば、恐らく第二波はやってくると思われます。しかし神様の御心や如何(いか)に。御心に適うならば、第二波が襲来しないように祈り続けたいと思います。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(マルコ1027)と主イエス様はお教えになられました。幼な子のごとく、信じて祈りたいと思います◆さて、今回のコロナの影響を受け、私たちの教団が持っている三つの病院(東京・神戸・沖縄)が経済的に困窮しています。万一のコロナ感染を予防するため、不急の来院を地域の方々がお控えになられたことが理由のようです。また、三育教育機関も従来通りの活動ができず、特に中学・高校・大学は寮

生活なので、この度のことで寮費・食費を払い戻す必要が生じ、学習関係は課題・リモート授業などで対応しているようですが、経済的には打撃は大きいようです。

全国の緊急事態宣言も解除されたので広島三育学院高校・中学は6/14に生徒たちを帰寮させる予定とのことですが、私たちの教団の大切なこれらの機関の働きが守られるように、ぜひ心を合わせて皆で祈りたいと思います◆イザヤ書には、このように書かれています。「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ402831)◆鷲のような大型の鳥類は雀のような小型の鳥類とは違い、大きな翼を張ることにより風を受けて空高く上っていきます。私たちもこの苦境を、鷲のごとく、神様の御力によって乗り越えてゆくことができますように!

 



             「緊急事態宣言は解除されたけれど」  20-05-30                            

 

紫陽花の花も咲き始め、5月もいよいよ最終㈯に。梅雨入りももう目の前。コロナに振り回されてきた今年も、あと一ヶ月で半分が過ぎ去ろうとしています。早い!今年は月日の過ぎ去るのがとても早く感じられます◆名古屋教会では、先週23日より約一ヶ月半振りに安息日礼拝を再開致しました。51名の方々が出席(実は、もっと少ないのでは…と思っていた次第です)。そして、その内の4名がお客様(その内のお一人は「そろそろ再開されるのではと、匂い(?)を嗅ぎつけてやってきました!」と)。礼拝室はと言えば、これまではゆったりと座って4人掛けで利用してきた長椅子に、今回はソーシャル・ディスタンスを取り2人掛けで座って頂きましたが、満席(?!)状態に。皆さん、この日を待っておられたご様子でした。牧師として、このようにして集まって下さった皆様を目の前にし、改めて責任と申しましょうか、何かこう…厳粛なものを感じました!(岐阜教会は来週66日より、まずは礼拝のみを再開致します)◆さて、一ヶ月半に渡って続いた緊急事態宣言が、今週いよいよ全国解除に。コロナ感染の第2波を警戒しながら、経済活動を徐々に再開していく方向に政府は舵を切りました。が、

 経済活動の再開と言っても、一度深刻なダメージを受けた社会はすぐ元通りにと言う訳にはいきません((既に倒産してしまった会社も)。会社は生き延びるために被雇用者数を削減し、切られた被雇用者はなかなか別の仕事が見つからない、という過酷な実情が。生きるための(すべ)を見つけられず、多くの方々が不安を抱えておられますかつてイエス様は世の終わりについて語られた後に、それでは何に気を付け、どのように生きるべきかを三つの譬え話で語られました。その最後の譬え話が思い出されます。「そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』…『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25343640)。まずは、生活困窮者が守られるように祈りたいと思います。そして、私達のすべきことを教えて頂き、それを実行する力を祈り求め、それぞれの立場で果たすべき役割を果たしてゆけますように

 

 



「いつも目を覚まして祈りなさい」 20-05-23

数ヶ月間私たちを脅かし続けてきた新型コロナウイルスですが、国内ではい よいよ収束しつつある様子ですね。もっとも、首都圏ではまだ火種がくすぶって いる感じですが…。そして、外国ではまだまだ悲惨な状態が見られる中、日本で は教会の集会を再開する動きが。当名古屋教会は 23 日、岐阜教会は 6 月 6 日よ り、まずは安息日礼拝のみから再開致します。感謝!(犬山集会も未定ではあり ますが、様子を見ながら再開日を検討中)◆収束のために私たちは大小様々な犠 牲を払って協力してきましたが、お互いの健闘を称え合いたいと思います。また 過酷な医療現場で今もなお闘い続けて下さっている医療従事者の皆様に対して、 心より敬意を表したいと思います。そして何よりも、祈りに応えて感染収束へと お導き下さり、集会を再開できるようにして下さった神様に、心からの感謝を言 い表したいと思います。聖書にはこのように書かれています。「わたしの魂よ、 主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって、聖なる御名をたたえよ。わた しの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩編 103: 1~2)◆さて、この度のコロナ禍で私たちは一体何を感じ取り、何を学んだでし ょうか(生活が苦しくて、それどころではない!とおっしゃる方もおられるかも 知れませんが、あえて問うてみたいのです

。多くの方は祈るこ との大切さを感じ取られたのではないでしょうか。かつて二千 年前に、イエス様は世の終わりについて語られた後、このよう に言われました。「しかし、あなたがたは、起ころうとしている これらすべてのことから逃れて、人の子(イエス様)の前に立つ ことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ 21:36)◆一言で 「祈り」と言っても、そこには様々な要素が。讃美、告白、悔い改め、献身、願 い事、人のための執成し、うめき、嘆き、聖句に基づく黙想、神への傾聴…。こ れらの作業を通して私たちは神様との交わりを持たせて頂き、不思議にも支え られる体験をしていきます◆今回の出来事は、聖書によれば、世の終わりに向か っての「序の口」「序章」のようなもの。厳しい混乱が今後も人類を待ち受けて いる。その混乱の只中で、一体何が大切なのか。聖書は、神様との交わりにより 神様とつながっていること、これこそが私たちをどのような時にも支えてくれ る大切なものなのだと教えています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその 枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、 その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからで ある」(ヨハネ 15:5)。 この、第一とすべきものを第一とできますように!




 

「わが助けは、天地を造られた主のもとから」

 

20-05-16

 

新緑の茂る気持ちの良い季節となりました。皆様、お元気でしょうか。名古屋教会のヤマボウシの木には、今年は可愛らしい花が例年にない程にたくさん咲いてくれています。そして近隣を少々散歩すれば、あちらこちらに鯉のぼりが。五月を肌で感じるこの頃です◆さて新型コロナウイルスはと言えば、このところ毎日の感染者数がかなり減ってきました。愛知県、岐阜県でも「ゼロ」の日が増え、いよいよ政府も14日に緊急事態宣言の解除に踏み切りました。しかしウイルスが絶滅した訳ではありません。慎重に様子を見て、祈りながら教会活動の再開のタイミングを図りたいと思います◆一方、報道によれば、コロナの影響下で大打撃をうけた工場や店の責任者が精神的にも行き詰まってしまい自殺を考えたり、あるいは自殺してしまったという悲惨なケースがあるようです。絶望してしまうと人間は自分の命を絶ってしまうことさえする生き物です。そのような悲報を耳にする度、主イエス様を信じる信仰をお持ちであれば、他の選択肢もきっとあったでしょうに…と思ってしまいます◆聖書にはこのような言葉があります。

ところで、わたしたちは、このような宝(イエス・キリスト)を土の器に納めています。

 

 この並み外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、

打ち倒されても滅ぼされない」(Ⅱコリント479)。迫害や様々な苦難に会いながらも落胆することなく、命ある限り主イエス様を宣べ伝え続けた伝道者パウロの言葉です。不思議な力強さを感じます。そしてパウロを支え続けたこの不思議な力は、現代に生かされている、イエス様を我が救い主と信じる一人一人、私たちにも約束されているものです◆「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから」(詩編12112)。苦難のただ中でこそ、諦めずに心の目で神様を見上げたいと思います。そして神様により支えられる経験をしてゆきたい。しかし、その「支え」を受け取るのを邪魔するものがあります。プライド、不信仰、人や他のものに頼ろうとする心の動き等々…。それらの全てを主の御力によって追い払って頂きたいものです。そして神様の素晴らしい「支え」をますます体験させて頂きましょう! また、一人でも多くの方が力なる主イエス様との出会いへと導かれますように!

 




「私たちの土台、主イエス様」 20-05-09
 
夜と昼の気温差が激しい季節ですね~。日によっては夏日も。今の季節は、こ
の激しい気温変動により体調を崩しやすい季節でもあります。特にご高齢の皆
様はどうぞお気をつけ下さい。着たり脱いだり、暖房を使ったり…。ご健康が守 られますように。(火の元には、ご用心を!)◆先日の(水)、高速道路を使って岐阜へ。高速道路の交通量の少なさに驚きました。結構、皆さん、外出自粛に協力していますね。それを実感しました。皆さんのこれらの協力姿勢に応えて、コロナが早く終息しますように!◆さて、政府は全国に対してコロナ禍による緊急事態宣言を今月末まで延長すると発表。その発表を聞き、世間では様々な反応が。
「仕方がない」と忍耐し続ける人、怒りをあらわにする人、この機に乗じて不正の利を貪ろうとする人、ただただ将来への不安に打ちのめされる人…。普段、体
験しないような危機の中に置かれると、人は様々な反応を表すのだなぁとつく
づく思います。そして、このような日々において、本当によく分かってくるのが
イエス様を信じていることの大切さです!           


 

 

◆イエス様が教えて下さった譬え話に、家と土台の話がありますが、それが思い出されます。譬え話に出てくる「嵐」をこの度のコロナ禍に置き換えると、なるほど、その通り!「家」は私たち一人一人、また私たちの人生。危機に襲われた際、日頃から何を土台として生きているかで反応・状態が違ってくる。救い主イエス様を普段から心の拠り所として生きている者に与えられる不思議な平安と支え。感謝です。誠に感謝!
益々 ますます私たちの心の拠り所であるイエス様との交わりを深めさせて頂けますようにイエス様とのこの大切な、何ものにも代えられない結びつきを、益々強めさせて頂けますように◆しかし主はこうも言われます。「だれでも高ぶる者は低く され、へりくだる者は高められる」(ルカ 18:14)。サタンの誘惑は実に巧妙です。おかしな優越感や自惚 うぬぼ れに、悪戯 いたずらに身を任せることなく、執成しの祈りや身近な方への証など、神の国を広めるためにそれぞれの形でご奉仕させて頂きましょう。聖霊の注ぎ、お導きとお支えが、皆様の上に益々豊かにありますように。
 



 

 

「それが神様の御心ならば」

 

20-05-02

例年ならば皆がワクワクして迎える5月の連休ですが、今年は外出自粛が強く求められ、重たい雰囲気が日本中を、いやいや世界中をさえ覆っているように感じられます。そのような中、皆様はどのようにお過ごしでしょうか◆先行きの見えないこのような状況下で、多くの方が不安を感じていたり、ストレスを抱えていたり…。そしてその結果、怒りを爆発させたり、怯えたり、冷たい態度をとってしまったり、またそのような行動をとったことを後悔したり…。何か人間の弱い面がコロナ禍により浮き彫りにされているように思えてなりません◆世界が感染症の脅威にさらされていて、自分の身を守ることに誰もが必死にならざるを得ない中、ヤフーニュースで紹介されたスペインの出来事に私はホッとしました。それは、新型コロナウイルスに感染した患者を病院まで無料で乗せている、勇敢で献身的なあるタクシー運転手の存在を紹介する記事でした。医師や看護師はサプライズのかたちでこの運転手に感謝の気持ちを表すスタンディングオーベーションとお礼の小切手、そしてコロナの検査結果(「陰性」)を渡したとのこと。この運転手についての他の詳しい情報は、その記事では残

 

 

 

 

念ながら紹介されていませんでした。でも記事に書かれずとも、人柄が伝わってくるように感じます◆イエス様が語られた「善きサマリヤ人」の譬え話を思い出します。強盗に襲われ、ケガを負わされ、瀕死の状態で道端に倒れていた旅人を、神にお仕えしているはずの祭司もレビ人も見て見ぬふりをして行ってしまいました。「まだその辺に強盗が潜んでいるかも知れない!」残念ながら自分の身を守ることに必死になってしまったのでしょう。祭司もレビ人も、旅人を助けることができませんでした。ところが三番目にそこを通りかかったサマリヤ人は、自分の身の危険をも忘れて、この旅人を助けたのでした。神様は私たちに対してもこのサマリヤ人のようであってほしいと明らかに望んでおられます。本当に神様のお守りを信じ、また一切のことを神様にお委ねしていないと出来ないことです。たとえ自分が苦しみに合うにしても、それが神様の御心ならばそれで良いと決心していなければ出来ないことです。祈り、讃美、み言葉の学びを通して日々、確かに神様とつながり続けさせて頂き、神様の御心を喜んで行うことが出来る者に作り変え、整えて頂きたいですね。「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主がそれを成し遂げてくださる」(詩篇375、新改訳より)。

 





 

私たちは聖書(旧約・新約とも)を神の御言葉として重んじ、第七日土曜日を安息日として大切にし、主イエス・キリスト様の再臨(*天に帰られた主イエス様が、世の終わりの時に信じる者たちを天に迎えるために再び来られるという教え)を待ち望んでいる教会です。

 

毎週土曜日の朝、この教会には主イエス様を救い主と信じる信者、そして救いを求める探究者の皆さんが集まってこられます。全員で十数名から二十数名が出席する、こじんまりとした家庭的な教会です。

無理に勧誘されることも無ければ、献金を強いられることもありません。勿論、洗脳されることもありません!

救いを求めておられる方、真理を探しておられる方、真の神の存在を探っておられる方、聖書を学んでみたいと思っておられる方は、安心してぜひとも一度ご来訪下さい。

初めて来られる方は、とり合えず土曜日の朝11時から1時間ほど行っている安息日礼拝にご出席されてはいかがでしょうか。

礼拝の内容は、讃美歌、お祈り、献金(*お客様は献金しなくても大丈夫です!)、聖書のお話、讃美歌、お祈り…こんな感じの流れです。

礼拝終了後にお帰りになられても良いですし、その後の昼食会にもどなたでも参加できます。心より歓迎させて頂きます。

 

 

さて、ここで牧師を務めます私・平田の自己紹介を簡単にさせて頂きます。

昭和36年10月10日生まれ、今年の誕生日で56才となりました。両親と共に教会に通いながら育ち、洗礼は中一の時に。しかし、人生は紆余曲折あり。

青年期に無気力・我がままな日々を送り、自己コントロール不能に。

誰にも相手にされない、深い穴に落ち込んだような日々の直中で、神様に引き上げられる貴重な経験を。

その後も様々な失敗をやらかし、自身の「罪深さ」というものに気付かされていき、聖書が教える主イエス様の「贖い(あがない)」の十字架にすがり付くことを学びました。牧師には30代前半に。

失敗の連続ではありますが、一方、「神様は確かに生きておられる!」との確信が強まるような体験を幾つも経験させて頂きました。

私はこの、作り話では決して無い真の神、頼り甲斐が充分にある聖書の神様を皆様と分かち合いたいと思っております。

決して無理強いは致しません。ご安心頂いて、一度ぜひご来訪下さい。心よりお待ちしております。